教育の一環として、「豚を飼育し、しめた後に給食で出す」
自分で育てた豚が食として出されたことで泣きながら食す姿がテレビで放映されていたようで。
それについてTwitter上で、「こんなの教育じゃない、ありえない」という風なツイートが。
ぼくは正直、大昔から人類がやっていて、今でもあたりまえに行われていることを教育に取り込むのは普通なんじゃないかと思いました。
その方の言い分では、「養豚農家の人でも情がわかないように名前をつけないのに、どれほどの傷が心に残ったか…」というようなことを。
んー…もし仮に、豚を1000頭飼っていて、そのうちの一匹だったとしたらどうだったのかなーとか思ってしまって。
何が言いたいかというと、感情論なんですよね。
普段から豚や牛など食べてるはずで、この教育がダメなら、自分が育てた豚だけがかわいそうという話になってしまう。
自分達が普段から食べているというのは、生き物を殺しているということ。子どもだから心に傷がつくとかじゃなくて、子どものうちから教えることで食に感謝する心が育つんじゃないかなーと思いました。
ただ、どういう捉え方をするのかは人それぞれ自由。
そういう考え方もあればぼくのように考える方もいるだろうし、ほんと自由なんですよね。
なので、その教育を受けた子どもがどう捉えるかも自由。
ありがたいことなんだ。と食す子もいれば、これを機に豚は食べない子がいるかもしれない。んでも「生きる」ということは何かを食べるということ。
ただ、そうなってくると、豚はかわいそうだけど魚は食べるとか。いろいろと矛盾が出てきてキリがないですよね…
ぼくの親世代が子どもの頃なんて、家でヤギを飼って、しめて、食べるというのは普通のことだったようです。
そういった家庭で当たり前に行われていた教育にすら、「ありえない」と言っていることになりますからね。
シンプルなことなんだけど、こういう感情論を持ち込んでしまうことで、教育をややこしくしてしまっているのでは。
存在するのは、殺して食べているという紛れもない事実のみ。
それを踏まえてどう感じるのかは個人の自由ですよね。
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